干支の順番と由来について

Home  /  豆知識  /  干支の順番と由来について

Bookmark this on Google Bookmarks
Pocket

前述の長寿の種類の話の中で一番由来がわかりにくかったでは、還暦。
還暦の意味を知る前に、還暦と深くかかわりがある干支について、まずお話しましょう。

干支の種類

年配の方に、「何年生まれ?」と聞かれた経験のある人も多いと思います。
節分に恵方を向いて、願い事を思い浮かべながら黙って巻き寿司を食べるという風習は全国に広まりつつあります。
他にも端午の節句、子午線、土用の丑、午前や午後、甲子園…。
干支は、古来、時間や方角、ものの順番等を指すのに使われ、日常生活の様々な場面で使われています。

干支というと、十二支(じゅうにし)の動物が思い出されます。
子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うし)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)の十二種類です。

しかし、先に「子、丑、寅、卯…」が存在し、動物は後から当てはめられたので、実は、正式な名称があり、
子(し)、丑(ちゅう)、寅(いん)、卯(ぼう)、辰(しん)、巳(し)、午(ご)、未(び)、申(しん)、酉(ゆう)、戌(じゅつ)、亥(がい)となります。

古代中国を起源とする干支は、知識人や王室、上流階級間で広まった知識でしたが、一般市民にも理解しやすいように動物名が与えられました。

日本の他、モンゴルやロシア、ベラルーシ、ベトナム、チベットへも渡りました。
日本に渡ってきた際に、姿を変えた動物もいます。

世界の干支の動物

亥(いのしし)歳と未(ひつじ)歳です。
亥といえば日本ではイノシシですが、中国では家畜として身近な存在のブタになります。
豚は日本ではあまりいいイメージがないので、イノシシになったのでしょうか。
西遊記の猪八戒はブタ、もののけ姫のおっとこ主は、イノシシですね。
未歳は日本では羊ですが、中国では、羊とヤギが同じように当てられています。
チベットやタイ、ベトナムの干支では、猫が入っています。

身近な動物ばかり登場する十二支ですが、辰(たつ)歳の龍だけ想像上の動物です。

中国の神話に登場する応竜(おうりゅう)、麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)、霊亀(れいき)の四霊(しれい)獣の中で一番力があり、
「実際に実在すると信じられてきた龍を充てたのではないか」「王様は龍の生まれ変わりだと信じられていた」「恐竜をさすのではないか」「ワニではないか」と諸説ありますが、明確な記述がないので、由来はわかっていません。

干支の動物のお話

干支に、身近な動物の代表格である犬は入っているのに、猫が入っていないのは何故か、覚えにくい十二支の順番はどうやって決めたのか、子供のころに疑問に思いませんでしたか?

これは、日本独自の解釈として、各地に概要としては似通ったお話がいくつかあります。

元旦の挨拶に最初から12番目までの動物に、順番に一年間の間は、その年の大将にしてやると、神様がお触れを出しました。
牛は歩みが遅いので、暗いうちから出発しました。
元旦に神様の門が開いた時、牛の背に気づかれないように乗っていたネズミが飛び出し、見事1番最初の年の王様になりました。
以下、順位は、もちろん十二支の順番通りです。
猫は、ネズミに騙され、元日の翌日に着いたので、十二支の中には入れてもらえず、それで今も猫はねずみを追っかけるというお話になっています。
中国、朝鮮半島、ロシア等にも、似たお話があるそうです。

起源である中国の文献にも正確な記述がない為、十二支にどうやって各動物を配置したかは、現在では分かりません。
しかし、各地に点在する干支の民話は、子供にも理解できる上、微笑ましい内容ですね。

干支の干と支はなに?

十二支の支は、干支の支ですが、では干は何でしょうか?

干支の干は、十干(じっかん)といって、暦に用いられていました。
甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)の10種類あります。


現在干支は、十二支のみを「えと」といいますが、実際は、十干と十二支を合わせたものを指します。
何故、「えと」と呼ばれるようになったかというと、実は、昔は十干を「えと」と読んでいたからなんですね。


では何故、十干を「えと」と読んでいたのでしょう?

十干を「えと」というワケは?

十干は、同じく中国を起源とし、後に、自然哲学の思想である五行説(万物は全て木・火・土・金・水から成るという説)と万物は陰と陽に分けられるという思想の陰陽説(いんようせつ)とも結びつき、占いにも応用されました。

甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)です。

日めくりカレンダー等に書いてあるのを見たことがありますね。

甲とかいて、どうして「きのえ」と読むのか、またどういう意味があるかご存知ですか?

日本では、陰陽の陽が兄で「え」、陰が弟で「と」に見立て、兄弟(えと)と呼びました。
五行説の木・火・土・金・水を2回ずつ順番に、兄(え)と弟(と)を交互に配すると木の兄、木の弟、火の兄、火の弟…
きのえ、きのと、ひのえ、ひのと…となります。
昔は「え」と「と」の繰り返しだから、十二支ではなく、十干を「えと」と言いました。

干支の読み方は?

十干と十二支を合わせたものが干支です。

1.甲(きのえ)
2.乙(きのと)
3.丙(ひのえ)
4.丁(ひのと)
5.戊(つちのえ)
6.己(つちのと)
7.庚(かのえ)
8.辛(かのと)
9.壬(みずのえ)
10.癸(みずのと)

①子(ね)
②丑(うし)
③寅(とら)
④卯(う)
⑤辰(たつ)
⑥巳(み)
⑦午(うし)
⑧未(ひつじ)
⑨申(さる)
⑩酉(とり)
⑪戌(いぬ)
r>⑫亥(い)

十干は10種類、十二支は12種類なので、10と12の最大公約数が60となり、年に当てはめると、60年に1回で1周するということになります。


例えば、上記の 1.と①、2.と②…10.と⑩までくると、十干が最初に戻り、1.と⑪、2.と⑫、十二支が最初に戻り3.と①、4.と②…と、ずれていくのです。

甲子は、音読みでは「こうし」ですが、訓読みでは「きのえね」です。
以下、(音読み/訓読み)です。

甲子(かっし、こうし/きのえね)乙丑(いっちゅう/きのとうし)丙寅(へいいん/ひのえとら)
丁卯(ていぼう/ひのとう)戊辰(ぼしん/つちのえたつ)己巳(きし/つちのとみ)
庚午(こうご/かのえうま)辛未(しんび/かのとひつじ)壬申(じんしん/みずのえさる)
癸酉(きゆう/みずのととり)甲戌(こうじゅつ/きのえいぬ)乙亥(いつがい/きのとい)
丙子(へいし/ひのえね)丁丑(ていちゅう/ひのとうし)戊寅(ぼいん/つちのえとら)
己卯(きぼう/つちのとう)庚辰(こうしん/かのえたつ)辛巳(しんし/かのとみ)
壬午(じんご/みずのえうま)癸未(きび/みずのとひつじ)甲申(こうしん/きのえさる)
乙酉(いつゆう/きのととり) 丙戌(へいじゅつ/ひのえいぬ)丁亥(ていがい/ひのとい)
戊子(ぼし/つちのえね)己丑(きちゅう/つちのとうし)庚寅(こういん/かのえとら)
辛卯(しんぼう/かのとう)壬辰(じんしん/みずのえたつ)癸巳(きし/みずのとみ)
甲午(こうご/きのえうま)乙未(いつび/きのとひつじ)丙申(へいしん/ひのえさる)
丁酉(ていゆう/ひのととり)戊戌(ぼじゅつ/つちのえいぬ)己亥(きがい/つちのとい)
庚子(こうし/かのえね)辛丑(しんちゅう/かのとうし)壬寅(じんいん/みずのえとら)
癸卯(きぼう/みずのとう)甲辰(こうしん/きのえたつ)乙巳(いっし/きのとみ)
丙午(へいご/ひのえうま)丁未(ていび/ひのとひつじ)戊申(ぼしん/つちのえさる)
己酉(きゆう/つちのととり)庚戌(こうじゅつ/かのえいぬ)辛亥(しんがい/かのとい)
壬子(じんし/みずのえね)癸丑(きちゅう/みずのとうし)甲寅(こういん/きのえとら)
乙卯(いつぼう/きのとう)丙辰(へいしん/ひのえたつ)丁巳(ていし/ひのとみ)
戊午(ぼご/つちのえうま)己未(きび/つちのとひつじ)庚申(こうしん/かのえさる)
辛酉(しんゆう/かのととり)壬戌(じんじゅつ/みずのえいぬ)癸亥(きがい/みずのとい)

癸亥(みずのとい)の次は、甲子(きのえね)に戻ります。




干支に関係する言葉は何があるの?

端午の節句


端午の節句の由来は次のようなものです。
端午の「端」は、もののはしっこ、つまり、もののはじめという意味です。
「午」はうまの日で、端午は、月初めの午の日ということになります。
午の日は毎月ありましたが、午と五が「ご」と同じ読み方をすることから、毎月五日を指すようになりました。
更に、数字が重なると神様の力が強く、おめでたいとする考えから五月五日が端午の節句となりました。
もともと、奈良時代に中国から菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒に飾って邪気をはらうという風習が伝わってきていて、それが後年、菖蒲と尚武と勝負をかけて、男の子の節句となったということです。
節句は、季節の節目に、神様にお供えをし、邪気を払う行事のことです。

子午線

古代中国では、方位の北を「子」、南を「午」、といった具合に、十二支で表し、北と南を結んだ線を子午線と呼びます。

午前と午後

同じく時間も十二支を用いていて、1日を十二支で、二時間毎に区切っていました。
「子」は23時から翌1時までを指し、丑は1時から3時、寅は3時から5時、卯は5時から7時、辰は7時から9時、巳は9時から11時、午は11時から13時となります。
お昼の12時は、午の刻の中間ですから、正午と呼ばれてています。
そして、子の刻から午の刻までの間を、午の前で午前となり、午の刻から子の刻までを午の後ということで、午後と呼ぶようになりました。

丑三つ時

丑の刻は、午前1時から3時の間の2時間ですが、更に4等分して30分毎に、「一刻、二刻、三刻、四刻」や「一つ時、二つ時、三つ時、四つ時」と
呼んでいました。
丑三つ時は午前2時から2時30分です。

丑寅の方角(鬼門)

鬼門の思想は、北東のモンゴルの襲来を避けるために万里の長城を作った中国から日本に伝わったのですが、後に陰陽道と相まって日本独自の思想となりました。

陰陽道において、北と西は陰、東と南は陽とされていて、北東と反対の方角の南西は陰と陽の境目に当たり、いい方角ではないとされました。

方位にも十二支を用いたのは、先に述べた通りです。
北に子、東に卯、南に午、西に酉を配置しています。
北東は丑と寅の間にあることから、丑寅=艮(うしとら)、
南東は辰と巳の間にあることから、辰巳=巽(たつみ)、
南西は未と申の間にあることから、未申=坤(ひつじさる)、
北西は戌と亥の間にあることから、戌亥=乾(いぬい)と呼びます。

鬼が出入りする北東の丑寅(艮)は鬼門として、
また正反対の方角の南西の未申(坤)も裏鬼門といわれ、
忌み嫌われる方角とされました。

この思想の歴史は古く、都を守るために平城京では鬼門の方角に東大寺が、
平安京では比叡山延暦寺が置かれたといわれています。
また、京都御所では、北東の角の塀を凹ませて、鬼門の反対の未申の
猿の像を鎮座させて祀っていたといわれています。
塞いでも開けてもいけない開かずの門があるお城やお寺もあり、
鬼門思想は広く世間に浸透していたことが分かります。

現在でも縁起を担ぎ、鬼門の方角に魔除けである南天や柊を植えたり
家の中央から見て、玄関とキッチンやお風呂場、トイレといった水回りを
鬼門の方角に置くのを忌み嫌う風習が残っています。

桃太郎の鬼ヶ島は丑寅の方角にあり、極楽浄土が西にあったという考え方から
酉、酉を囲む戌と申が家来に当てたとされています。
また、鬼が牛の角を持ち、虎の模様のパンツを履いているのも
ここから来ています。

土用の丑の日

五行説で春は木、夏は火、秋は金、冬は水を当て、土は、立春、立夏、立秋、
立冬の前の約8日間を当て、これを「土旺用事」、略して「土用」と呼びました。
そして、この土用の期間中の丑の日を土用の丑といいました。
多くは、夏の土用の丑の日を指し、1日か2日あります。
鰻を食べる日とも知られ、夏に売れない鰻について、鰻屋が平賀源内に
相談したところ、店先に「本日丑の日」と書いた紙を貼ることを提案し、
その通りにしたところ、繁盛し、他の鰻屋も真似て、全国に広がったということです。
  

甲子園

甲子園球場は、甲子 (きのえね) の年、大正13年に完成したから
甲子園と名付けられたそうです。

丙午(ひのえうま)

陰陽五行説では、丙も午も火の性質を持ち、火事の発生率が高いという俗説があることから、
丙午の年の出生率は、十二支の中で最も少ないのです。
江戸時代以降、丙午の年に生まれた女性は、気性が激しく、
夫を早死にさせるという俗説も生まれました。
その元となったのは、江戸時代に恋人に会いたい一心で放火し
火刑に処された八百屋の娘・お七の生まれ年が丙午だったことからだとも言われています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です